嫌われる勇気・幸せになる勇気(子育て編)
この本に書かれているヨーロッパのことわざである『馬を水辺につれていけても水を飲ませることはできない』。
子供を育てる上で最も大切にしなければいけないことかなと感じている。
長男のりょは6歳、長女のみさは3歳だが、産まれた時から高校を卒業するか、大学を卒業したら家を出て行ってほしいと思っている。
自分自身で自分自身の人生を歩んでいくためだ。
いつまでも親が干渉しては良くないし、経済的にも精神的にも自立してほしい。
子供に対して親の立ち位置は、サッカーで言うサポーターのような感じなのかと思っている。
頑張ってほしい、元気に育ってほしい、幸せになってほしいなどと親の誰しもが思うとは思う。だからこそ厳しいことを言ったり、怒ることもあったりする。
でも、生きるのは本人だし、全ての人が自分の人生は自分のものだと思う。自分の親だって、嫁だって、子どもだって、同僚だって、友人だって自分の人生を充実したものにしてくれる脇役であって、あくまで自分の人生は自分が主役だ。
だから、いろいろな重要な決断は自分で責任を持ってしなければいけないと思っている。
その決断をするときにできる限り多くの選択肢を用意すること、その手伝いをすることが親の役目なのかと思っている。
「父ちゃんが決めた通りに色々やったけど、うまくいかなかったから全部父ちゃんの責任だ」と引きこもりにでもなって言われた時には、人生最悪だと思うだろう。だから本人に自分の人生の決断をしてほしいという逃げもあるかもしれない…。
でも自分の人生は自分が楽しまなきゃ意味が無いからね。やっぱり自分で決断することが大切だ。
長男のりょにも山登りやキャンプ、うんこドリルやピアノ、サッカーなど本人が希望することにたくさんチャレンジさせて、その中から自分が好きなものを見つけていってくれれば良いかなと思っている。
だからと言って、本人がどう思っているかはよく分からない。
そして、自分も自分の思い通りに子供が動いてくれなかったりするとイライラする(笑)。
ここのバランスを保ちながら子育てを楽しもうと思う。
なんか自分の子育てに対する考え方は、間違っていないのかな。そんなことを感じることができる本だった。
嫌われる勇気・幸せになる勇気(仕事編)
この本は読んでいて、書かれていることを自分に照らし合わせることがとても多かったように思う。
仕事のことで自分に刺さった内容ごとに感じたことを羅列していきたい。
1.自分はこのままでいいのか
- 過去の経験に今の自分の置かれている状況の原因を求めてしまい、過去の経験に基づいて自分が決断を下している。
- 自分が変われないのは、自分が変わらないという判断をしているから。今不満があったとしても変わらない方が自分自身が楽である。それが自分の理想と現実を乖離させる大きな原因となっている。
- 将来、自分が理想の方向に進むかどうかは、今の自分の判断が決めている。
本当にそうだなと感じた。
「このままでいいや」
誰でもよく思うことだと思うが、ここを律することができるかが肝となる。
本書にも書かれているが、「過去どうだった、だから未来もこうなんだろう」で判断するのではなく、「これからどうしたいか」という観点から判断していく必要がある。
過去は変えられないけど、未来は変えられることもある。
自分が今後どうなりたいか、今後どうしていきたいかを念頭に置いて、色々なことを決断していくことを再認識した。
2.劣等感・劣等コンプレックス
- 劣等感は「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」。
- 人は普遍的に「優越性を追求」している。こうなりたいという理想を追求している。
- しかし、この理想に到達できていない自分に対し、まるで劣っているかのような感覚を抱く。
- 自らの劣等感をある種の言い訳に使い始めたことを劣等コンプレックスという。本来は何の因果関係もないところに、あたかも重大な因果関係があるかのように自分を説明し、納得させてしまう。
- 不幸であることによって「特別」であろうとし、不幸であるという一点において、人の上に立とうとする。自らの不幸を武器に相手を支配しようとする行為で、このような人は一生不幸を必要とする。
確かにその通りかもしれない。
自分はある程度名の知れた会社に勤めているが、周りは高学歴の人が多く、自分はそれほどのレベルの大学を出たわけではないので、劣等感を抱いていた。
「自分が会社の中でやりたい仕事ができないのは、自分の学歴が高くないためだ」と思っていたが、これは正に何の因果関係もない。
実際に会社では出身大学で何かを判断されることはほとんどない。これを自分で不幸の種に使うのは良くないことなんだと改めて感じた。
3.自分の課題・他者の課題
- 他者の期待に生きるわけではなく、自分の人生を生きる必要がある。
- 他者に期待に応えようとすることは、他者の人生を生きることになる。
- 他者からの評価は、自分では変えることができない。誰の課題なのかをしっかりと分離し、自分でできることの範囲の中で自分が判断を下していく。
会社での出世欲はそれなりにあると自分では思っている。
だから周りの人からの評価は、今まで気にしながら社会人をやってきた。
他人の目や他人からどう思われるかを気にしているとやはり疲れるし、自分自身もつまらないと感じることが多い。
やはり、自分の人生を楽しむためには、他人からの評価を気にせず、自分がどう思うかという点を重視していく必要があるのかと思う。
しかし、サッと切り替えることはなかなか難しいのではないか?ゆっくりと自分なりの考え方を醸成していけば良いのかなと思った。
4.信用と信頼
- 信用とは、担保を取って信じること。
- 信頼とは、無条件に信じること。
これは分かりやすい表現だと思った。
自分は信用している人はいるが、信頼している人はどれくらいいるだろうか?
無条件に人を信じることは、「できるかできないか」なのではなく、「するかしないか」なのかもしれないが、なかなか「する」ことは難しいと感じている。
確かに自分が先に信頼すれば、他者も信頼してくれるのかもしれないが、自分もなかなかひねくれているので、難しいなと思った。
5.仕事の本質は他者貢献
- 他者貢献とは「わたし」を捨てて誰かのために尽くすことではなく、「わたし」の価値を実感するためになされること。
- 他者貢献は、目に見える貢献でなくて良い。「わたしは誰かの役に立っている」という貢献感を持てれば良い。
仕事で誰かの役に立っていると実感できることは非常に大切だと思う。
自分は営業職ではないが、自分の会社の製品、商品が世の中の役に立っている、誰かの役に立っているということが認識できないと家族にですら自分の仕事を誇りに持って説明することができない。
自分の仕事に誇りを持てることは、とても幸せなことだと思っている。
今の会社に再入社したいと思ったきっかけも自分の仕事が世の中に役に立つかという点を考えたことが一つである(当然、報酬等も重要な要素だったが…)。
この貢献感は、自分が追い込まれがちな時にはなかなか思い出すことができないけど、この感覚を持つことはとても大切だと思う。
6.特別な存在でありたい
- 他者の注目を集め、「普通」の状態から脱し、「特別な存在」になりたい。これは、安直な「優越性の追求」。
- 普通を拒絶するのは、普通を無能と同義と捉えている。普通と無能とは同義ではない。わざわざ自らの優越性を誇示する必要はない。
まさにこれ。
自分は今の会社の中で比較すると学歴も高くなく、普通の誰にでもできる仕事をしていると感じてきた。
そして、その普通を脱するために様々な資格取得の勉強にも励んだし、社会人大学院にも通った。その結果、自分を特別な存在へと持ち上げ、自分が会社の中でしたい仕事ができる部署に行きたいとずっと思っていた。
普通=無能と思ったことにも原因がある。最初に配属された部署が自分の希望するところではなく、周りの人を見ても自分が惹かれる人が少ないことに加え、行きたい部署の人は輝いて見えたからだ。
この本を読んで、今までの自分は、自分の地位を誇示したいだけの安直な考えだとも思った。ここのバランスを上手くとることは、結構難しいことなのかもしれない。
~まとめ~
アドラーの心理学は、なるほどと思うところもあったが、本当にそうなの?と思うところもあった。
このように自分なりの捉え方をしていくことが大切なのかもしれない。
個人を同一化、同一視することは不可能なことなので、この心理学の考え方を全面的に受け入れて実践するのではなく、必要なところだけ自分の中で消化していけば良いのかと思った。
ランナーズ腹痛問題
問題さて、フルマラソンを一度も走ったことがありませんが、実はサブ3.5を目指しています!?
そこで目にしたのがこの記事。
自分がスピード型なのかスタミナ型なのかはよく分かりませんが、とりあえず20km走をしてみました。
最初の5kmは体が重かったけれど、その後10kmを過ぎた頃からは「あれ?これ30kmぐらいこのペース(5:00/km)でいけちゃうんじゃね?」と。
しかし、やはり無理でした。
14km過ぎからは逆風の中を走らねばならず、すげぇ辛い。
何これ、マジで足が止まりそう。さっき余裕こいてすいませんでした。神様、向かい風を止めてください。
更に足の指の違和感も相まって、20kmちょうどでストップしました。
足指は血豆ができて、痛かったな。でも、よく頑張った。
さすがに疲労はMAX。
お腹も痛くて、その後はトイレにこもったり、寝たり、眠れなかったり…。
先週の12km閾値走の後もこうだったな。と思い、調べてみたら…
あるじゃないですか!研究結果が発表されているじゃないですか!
こちらです。
そうか、内臓が揺れることでダメージを受けるから、お腹の調子が悪くなるのね。
しかし、どうすればこの『ランナーズ腹痛』問題が解決するかは分からない。
とりあえず、毎週20km~25km走をして、自分で人体実験するしかないかな。
では、明日は週一のインターバル走…頑張るぞー!
祝!いわてグルージャ盛岡J2昇格!
ついに、ついに決まった!
来期からJ2だ!
2年前に盛岡に転勤で来て、見に行き始めたら段々と熱くなってきて楽しませてくれた!
おめでとう、選手、スタッフの皆さん!
力の限り走る姿に、感動した。
やっぱりサッカーは面白いし、素晴らしいスポーツだ。
グルージャは、25歳以下の若い選手が中心になっているから来期も今のメンバーが残ってくれれば、きっとやれると思う!
来期が楽しみだ!
りょの発表会
長男のりょは年長児。
今日は通っている幼稚園の発表会(お遊戯会)だった。
普段からコツコツと頑張っているピアノの成果も発揮され、クラスの男女一人ずつが選ばれるアコーディオン役を演じることになったとのことで、親父としては見に行きたい一心だった。
しかし、残念ながら、コロナ禍で発表会を見に行けるのは一家族一人。
その一つの席について、りょと争う。
父「父ちゃんが発表一緒に行こうか?」
りょ「嫌だ、母ちゃんが良い。」
父「いや、父ちゃん普段りょの幼稚園での姿見てないから父ちゃんが行くよ。父ちゃん行きたいな。」
りょ「嫌だ、母ちゃんと行くの。父ちゃんはみさと家で待ってて。」
父「いや、それでも行こうかな。」
りょ「だから何回嫌だって言わせるの!母ちゃんと行く!」
と、散々言われ…まぁ、しょうがない。
母ちゃんと行かせてやるか。
というか、朝のインターバル走によってもたらされた(?)腹痛でトイレがお友達になってしまったので、発表会に行くことも出来なかったが…。
しかし、こんなに早く嫌がられるか?
まだ5歳児だぞ?
そんなに俺は良くない行いを普段からしてるいか?
過去を少し振り返ってみると…思い当たる節しかない!
そして、切り替えるしかない。
俺も小さい時、父親が来るよりは母親が来てくれた方が良かったな。
その理由はしっかりと言葉で説明することはできない。
でも、自分の気持ちとして、それは事実だったことは間違いない。
…うん、それはそれでしっかりと成長している証拠だ。
それにしても今時は凄い。
幼稚園は付き添い以外の親や祖父母のためにYouTubeのライブ配信をしてくれた。
画面越しで見るりょは、いつも家でふざけているりょとは違い、頑張っていた。逞しく見えた。
父ちゃん、りょが成長してくれているのを見て嬉しかったぞ。
また、色々とコツコツと頑張ろう!
インターバル走のダメージはお腹にまで
水曜日に「最近ジョグばかりで限界の10km走をしていないな」と思い、走ってみた。
結果的に12kmを57分20秒。
自分の中ではキロ4:50ペースを維持できたので、それなりに頑張った。
というか、自己新記録に近いと思う。
水曜日からの疲れが取れていない感じがしていたが、週末はインターバル走をやると
決めているので、今日走ってみた。
が!最初から足が重い。
これはダメかもしれない。
子どもには格好つけて、「父ちゃんも頑張って走ってるからお前も頑張れ」
と言っているが、アップの時点で頑張れないかもと弱気に。
インターバルを始めてみると、1本目から…くっ、辛い、辛すぎる…
それでも続ける。自分に勝つんだ!と。
2本目、3本目と…やっぱり辛い、本当に辛すぎる…
なんで頑張れないかもと思ったあの時にジョグに変えなかったんだとすら思う。
結局、心が勝てず、4本に終わった…
まぁいいか、どこかのホームページの記事には、最初は3~5本で良いと書いて
あったな。と正当化する。
しかし、先々週、先週に続き、3回目のインターバル走だが、今回は特に
ダメージがデカい。
ダウンジョグをして家に着いてからも疲れが溜まっている感じがする。
それはそうか、今週は自分のラン史上最長距離を走ったんだ。
なんか足の裏も痛いし、この弱いお腹も調子が良くない。
明日、明後日は、とりあえず休足日にしよう。
ブログを始めるきっかけ
ひょんなことから始めたランニングが2年間続き、疲労抜きジョグについて調べていたところ、全力中年さんのブログをたまたま見つけました。
最初は、ランニングに関する記事を読んでいたのですが、家族内で起きていることなども幅広く書かれていて、「全力中年さんの娘さん達が将来このブログを読んだら、どんな気持ちで父親が生きてきたのか伝わりそうだな」と思い、真似してみようと思いました。
確かにSNSよりも手間はかかるけど、その分いっぱい伝えることができるのかも。
さて、思い立ったが吉日。
12月1日ですし、すぐに始めてみます。
更新頻度は未定ですが、思ったこと、感じたことを綴っていきたいと思います。
ではまた。